オウム真理教のサティアン跡地に行ってきた。上九一色村は今

慰霊碑 マスコミ

先日、オウム真理教が本拠にしていた山梨県の旧上九一色村に行ってきました。

1995年3月にオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こし、今年で24年が経ちました。昨年は幹部の死刑も執行されました。

日本中を震撼させた組織でしたが、事件が風化することだけは防がないといけません。

そこで教団施設「サティアン」の跡地の現在を詳報します。

上九一色村のサティアンについて

全国的に有名だった上九一色村は事件後の2006年、2つに分けられて富士河口湖町と甲府市にそれぞれ合併されました。

道の看板などで「上九一色」という字は見かけるものの、 市町村名としての「上九一色村」はなくなってしまいました。

サティアンがあった富士ケ嶺(ふじがね)地区は現在、富士河口湖町内にあります。

サティアンは教団施設のこと

サティアンとは上九一色村を中心に建てられたオウム真理教の教団施設のこと。それぞれ番号が振られ、第6サティアン、第7サティアンなどと名付けられていました。数十の建物があったそうです。

白い箱型で、それぞれ信者の住居やパソコンの組み立て工場、礼拝堂などでした。サリンや自動小銃もサティアン内で製造されていました。

しかし強制捜査後に順番に取り壊され、現在は残っていません。

目印は富士ケ嶺公園

旧上九一色村は静岡県との県境にあります。

ちなみにサティアン跡地はどれも建物がないので、住所がありません。私は取材で何度も来たことがある地なので、今回は迷わずにいけました。周辺の地理に詳しくなければ「富士ケ嶺公園」を目指せばたどり着けます。

都内からだと車で2時間弱。公共交通機関もないので車を借りて向かいます。

近づくにつれて背の高い建物がなくなるので、富士山が眼前に広がり荘厳な雰囲気です。

牛乳が有名な朝霧高原もすぐ近く。道路のわきには乳牛やヤギがたくさん放し飼いになっています。

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富士ケ嶺公園(2、3、5サティアン跡)へ

まずは最も有名は富士ケ嶺公園へ。ここは「第1上九」と呼ばれるエリア。

多くのブログやニュースサイトがサティアン跡地として紹介しているのがここです。草野球ができるくらいの広さで、駐車場もついています。

村の本によると、この敷地内には2、3、5のサティアンがあり、中は倉庫や印刷工場、地下室だったみたいです。

サティアンを解体した後に公園として整備されたため教団らしさは残っていません。

誰かが利用しているところは見たことがありませんが定期的に雑草は刈られているようです。

歩道を進むと「慰霊碑」と書かれた石碑があります。誰かが備えた花がありました。

富士山に向かい合っています。

第9、11サティアン跡

すぐ近くには他にもサティアン跡があります。

富士ケ嶺公園から南に車で5分ほど進むと「第5上九」と呼ばれるエリアに到着します。ここは工作機械工場だった第9、11サティアンがあり、自動小銃などが製造されていました。

近くの男性に聞くと、ここにも信者が住んでいたとか。今はただの田舎道にしか見えません。

画面中央の奥がサティアン跡らしいですが、草が背の高さほどまで伸びていたので人が入れるような状態ではありませんでした。

第7、10サティアン跡

西に1分ほど車で進むと「第3上九」の第7サティアン跡があります。

これは松本サリン事件で使われたサリンが製造された場所で、オウム真理教の事件を語る上で欠かせない場所です。

写真の右側の一帯です。

位置関係が難しいのですが、第7サティアンの近くには第10サティアンがあります。礼拝堂があったようですが、この一帯も草ばかりで何も残っていません。

第6サティアン跡へ

最後は「第2上九」にある第6サティアンです。ここは麻原彰晃死刑囚の住居として使われ、強制捜査の際はここの隠し部屋にいるところを発見されました。

敷地は他よりも一番広くみえます。草は伸び放題で、今は土砂置き場になっているようです。

まとめ

以上、旧上九一色村のサティアン跡地でした。基本的な情報は村の本と住民から聞いた話を参考にして書きました。

跡形もなくなっているので実際に見ただけではサティアン跡地を識別するのは不可能だと思います。私は何度もサティアン跡地には来ていますが、車も人もほとんど見かけないので聞くのも難しいと思います。

万が一事故などを起こすとレッカーを呼ぶのも大変だと思うので訪問の際は気を付けてください。

記事を見る人が増え、事件が風化しないことを願います。