2015年5月、新聞記者になって2年目に突入した。
地方に異動した私の担当は引き続き、「事件」だった。
ここで私は、新たなマスコミの文化を経験した。
「夜討ち」(ようち)と「朝駆け」(あさがけ)だ。
記者がたくさんの情報を持っている理由はここに隠されていると言っていい。
しかし、過労の原因でもある。
記者は頑張れば頑張るほど、夜討ち朝駆けからは逃れられなくなる。
当時の私はまさにそれだった。
そして、この経験が私の退職を早めたのは間違いない。
今回はそれらを振り返ってみようと思う。
1.夜討ち朝駆けとは

夜討ち朝駆けとは、帰宅や出勤を狙って相手の家の近くで待ち、非公式な取材をすること。





夜討ち朝駆けで聞いた話は、全てオフレコだ。
つまり、「あなたが話したということは秘密にするから」と前置きして裏側の話を聞いているのだ。
同僚がいる場所で職場の秘密を話す人はいない。
人目がない場所に行くと急に「実はあの事件は~~」と饒舌になる人はたまにいる。
- 捜査関係者によると、
- 関係者によると、
- 政権幹部によると、
出どころが曖昧に書かれている記事のほとんどは、夜討ち朝駆けで得たものと言ってもいい。
警察官、政治家、官僚、大企業の社長、検察官などは毎日のように夜討ち朝駆けを受けている。
2.殺人事件を担当したときの話

2015年9月、私の担当地域で殺人事件が起こった。
老夫婦が何者かに殺されたのだ。
のちに高校生の孫が2人の殺害を認めたが、発生当初は謎だらけ。
こういった事件のとき、夜討ち朝駆けは最も激しくなる。
犯人逮捕される前は、「現場にどんな証拠が残っていたのか」「犯人は誰なのか」「いつ逮捕されるのか」などを聞き出し、
逮捕後は「殺人の動機」「殺害方法」「逮捕の決め手」などを聞き出す。
捜査員も全て把握しているわけではないので、聞き出すのはとても難しい。
1つでも報道できれば特ダネだ。
だが当時、私はその地域の警察の知り合いが少なかった。
犯行の動機は裁判の重要な証拠のため、事前に入手することは難しい。
そもそもマスコミに好意的な警察官はとても少ないので、その事件を担当している刑事に夜討ち朝駆けを繰り返し、顔を覚えてもらうだけで精一杯だった。
刑事のなかには
「お手柔らかに頼むよ」と言って名刺を受け取る人や、
「二度と来るなよ!」と言って勢いよくドアを閉める人、
何を話しかけても無視をする人など、色んな人がいた。
立ち止まって話に応じてくれる人は稀だった。
それでも何カ月も通っていると、「お前、根性あるな」と相手が根負けするときもある。
私は相手に取り入るために、相手の仕事や趣味の話はもちろん、相手の興味を引きそうな「小噺」をたくさんストックしていた。
それでも価値のある情報を得られたのは数えるほどしかない。
3.夜討ち朝駆けはサービス残業

他社に勝つ方法は「夜討ち朝駆け」しかない。
しかし、夜討ち朝駆けは実質的にサービス残業と見なされている。
ここに記者のジレンマがある。
孫が祖父母を殺すという構図だったこともあり、高齢者の関心は高く、「どうしてこんな悲しい事件が起きてしまったのか解明して欲しい」という声が新聞社にたくさん届いていた。
だからこそ、私は読者の期待に応えたかったし、どうやったら同様の事案を防げるのかを考えたかった。
しかしそうした取材と夜討ち朝駆けとを両立させるのはほぼ不可能だった。
夜討ち朝駆けは相手と待ち合わせをしているわけじゃないので、家の近くで長時間待つのが普通だ。
とにかく待ち時間が多い。
私が通っていた警察幹部は朝7時ごろ家を出発して、夜は8~11時に帰宅していた。
朝は1時間、夜は3時間くらい待つ。
特に大雨の日や、冬の寒い日などは地獄だった。
夜討ち朝駆けをすると、通常業務の時間と休憩時間、体力を大幅に削られる。
事件が起きると取材競争が始まり、他社に負けすぎると自分の出世や立場に影響する。
会社側は「義務じゃないので、やらないくてもいい。その代わり他社には負けるなよ」という姿勢なので、真面目に仕事をしている人ほど夜討ち朝駆けから逃れられない。
夜討ち朝駆けの不要論がたまに叫ばれるが、「他社に勝ちたい」と思う記者がいる限り、このシステムをなくすことは不可能に近いだろう。
こういう取材を通じて、私が新聞記者として働くことに疑問を感じるようになったのは事実だ。
競合他社に勝つことに夢中になり、本来発信したいものを調べる時間も勉強する時間もない。
忙しすぎて何が正しいのか考える時間もない。
死ぬほど働いているのに、本当に世の中のためになっているのか・・・
私が5年間で退職したのも、夜討ち朝駆けの意味を見出せなかったことが一因だと思う。