2014年4月、私は新聞社に入社した。
もちろん記者職である。入社式を終えて新人記者研修を受けた後、初任地に配属された。
色々な偶然が重なって新聞記者に採用されたことため、入社してからは驚きの連続だった。
そこで今回は、私が新聞社に入社した直後の話をしたいと思う。
1.新聞社も出世レース

私の会社の同期は約50人だった。
新人記者は規模の大きい道府県の支局に配属され、一人前の記者になるべく教育を受ける。
どういう選び方をしているかはわからないが、配属先は入社前に決まるのが普通だ。
私は関東地区の大都市だった。
重大事件もよく起きるし、新しい試みも多い――。全国ニュースがたくさん起きる地域だった。
新聞を読まない人向けに説明すると、新聞には
「地方版」
というページがある。
売っている都道府県に合わせて、その地域のニュースを掲載しているページだ。
横浜なら「神奈川版」、北海道なら「道内版」、東京なら「都内版」という具合に決まっている。
地方にいる記者は全国にニュースを届けつつ、都道府県内向けにも記事を書いている。
ニュースが多い都会では、たくさん取材しても掲載されないことばかり。
逆にニュースの少ない田舎だと、記事を書いても書いてもページが埋まらない。
ビッグニュースを追いたい人、記事をたくさん書きたい人、興味がある分野を突き詰めたい人・・・
やりがいをどこに見出すかは人ぞれぞれだが、出世となると話は違ってくる。
記者の評価とは
「どれだけ全国面にニュースを書いたか」
この1点に尽きると言ってもいい。
特ダネを書いたり、記事をバズらせたりして、本社にいる上司に自分の名前を覚えてもらうことが重要だ。
つまり大きなニュースが起きれば、自然と記事を書くことになり、全国に名前を売ることになる。
そういった意味で重大ニュースの多い地域への配属はとても幸運だったといえる。
ちなみに、若手新聞記者の出世とは、本社の記者になることだ。
映画・ドラマなどで聞く社会部、政治部、経済部、文化部、科学部、スポーツ部などは全て本社の部署なので、若手は本社への異動を目指し、地方で経験を積んでいることになる。
成果を挙げた若手は本社に一本釣りされるが、地方で何年もいる人もいる。
入社数年で記者職から外される人もザラにいるほど、評価はシビアだ。
それでは配属されてからの話を移ろう。
2.フリーランスの集団

今振り返ると、初任地はフリーランスの集団のような職場だったと思う。
人口が多く、注目ニュースが多く起きるという理由から、その支局は脂がのった30~40代の記者が本社から配属されていた。
一方で、田舎には引退間近のベテラン記者や、本社に上がることのできずに地方に留まっている記者が多い。
ここに配属されなかったらここまで取材能力が伸びたとは思えないし、仕事の楽しさに気付けなかったかもしれない。
語学が堪能な先輩が多く、英語、中国語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、フランス語などで取材ができる記者がそろっていた。
他社との取材競争にもほとんど勝っていたと思う。
厳しい職場だったが、この期間を通じて私のジャーナリストという仕事への誤解が解け、憧れすら抱くようになった。
仕事を始めて驚いたのが個人の裁量が大きいことだ。
これは就活でのアピールではない。
もはや「放置」といってもいいくらいの環境だった。
新聞記者の仕事は記事を書くことだが、それには以下のような手順を踏まないといけない。
- 記事の構成を練る
- 取材のアポイントをとる
- 取材をする
- 文章をまとめて記事を作る
- 文字を新聞に並べる
- タイトルをつける
- 新聞を印刷する
実は、配属1日目の記者でさえも、①~④を1人で実行している。
初めのうちは先輩のフォローがあるが、長くても数カ月である。
新聞社を舞台にしたドラマ「クライマーズハイ」や「運命の人」をイメージして向かったが、それは本社での話。
会社内をバタバタ走っている記者の姿を見るはことない。
会社に自分の机があったが、先輩からは、
「いいか、君がこの机に帰ってくるのは休憩をするときだけだ。記者は足でネタを稼ぐんだ。会社にいる時間はサボっていると思うからな」
と言われていたので、とにかく記事を生産することだけに全神経を注いだ。
だから出社時間、休日、仕事量などは全て自分で管理し、一度も会社に行かない日もザラにあった。
新聞に書けるニュースがないか、フリーランスとして毎日営業をしているような気分だった。
そんな中、忘れられないエピソードがある。
配属数日後。
仕事用の一眼レフをリュックに入れようとして、レンズとボディと取り外した瞬間だった。
いつも優しいベテランの先輩がもの凄い剣幕で怒ってきた。
「いま、目の前に飛行機が落ちてきたらどうするんだ!!」
理由を聞くと、
記者はどこでニュースに遭遇するかわからない。
レンズとボディを分解して収納すると、大事な写真を撮り逃してしまうかもしれないから怒ったという。
「スマホで撮ればいいんじゃないか」と思ったが、その言葉は呑み込んでしまうくらい、先輩の本気度が伝わってきた。
会社にかかってくる電話対応もそうだ。
先輩は「特ダネの電話があったら、その電話をとった人の手柄だ」といい、ベテランの記者も全員が1コール以内に受話器を取っていた。
電話は新人か事務員が取るものと思っていたので、この光景も新鮮に映った。
今振り返れば、理想に燃えたドラマのような職場だった。
先輩と仕事で交流することはあまりなかったが、「いい記事を届けたい」という思いだけが一致していたように思う。
先輩からそんな指導を受けながら、私は新聞記者らしく成長していった。